PRACTICAL VOCAL ACOUSTICS ・ ピヨ版
Practical Vocal Acoustics(実践的声楽音響学)/ Kenneth Bozeman 著
ピヨ鳥せんせい、「声楽音響」って聞くだけで難しそうで逃げたくなるニャ…。第1章って何が書いてあるの?
いい質問だピヨ!第1章はまだ計算も図も出てこない「準備運動」の章ピヨ。要点はこの4つだけピヨ:
この4つが分かれば、第2章からの本格的な音響の話がスッと入るピヨ!
でもさ、昔の名歌手や名教師は音響なんて知らなくても上手だったんでしょ?じゃあ今さら科学なんていらないニャ。
なるほど、その点は大事だピヨ!ボーズマン先生もまさにそこから始めているピヨ。経験的なやり方が成功してきたのは本当。でも近年、声の科学的な理解が桁違いに伸びて、しかも安くて高性能な分析ソフトが誰でも使える時代になったピヨ。だから「経験」に「科学」を足せる時代になった、というのが出発点ピヨ。
“our scientific knowledge about and understanding of vocal acoustics have grown exponentially in the last sixty to eighty years …” → 声楽音響についての科学的な知識と理解は、この60〜80年で指数関数的に伸びてきたピヨ。 p.1
この本のねらいは、その科学から「教えるのに本当に役立つ要素だけを蒸留して」、ふつうの先生や生徒に分かる言葉で渡すことピヨ。
へぇ。じゃあ声のことなら何でも書いてあるの?呼吸法とか筋トレとか。
そこは正直に線引きしているピヨ。この本は「教えることに関係する音響の話」に絞ると宣言しているピヨ。土台にあるのは、マイクを使わない西洋クラシックの歌唱の伝統。大きなホールを声だけで満たすには、音響的にいちばん効率の良い発声が必要だからピヨ。ただ、人間の体の中の「音の風景」はみんな似ているから、ここで学ぶ原理は他のジャンルにもけっこう当てはまるピヨ。この調子でいこうピヨ!
分析ソフトの話が出たニャ!…ということは、高い機材さえ買えば歌がうまくなるってこと⁉
ピヨピヨピヨヨヨヨ、そこは逆だピヨ!ボーズマン先生がいちばんビシッと釘を刺している一文がこれピヨ:
“the teacher who can’t teach a good voice lesson without it won’t be able to teach a good voice lesson with it.” → 道具なしで良いレッスンができない先生は、道具があっても良いレッスンはできない、ということピヨ。 p.2
技術はあくまで「洗練されたフィードバック」で、良い先生がもともと耳や目で追っていたものを、より具体的な証拠として見せてくれるだけピヨ。原理としては鏡・録音機・ビデオと同じピヨ。
なるほどニャ…。じゃあ道具は使わないほうがいいの?
そうじゃないピヨ。うまく使えば指導の具体性が上がり、生徒の上達も速くなり、「今の音どうだった?」みたいな言い争いも一瞬で解決して、レッスン全体が効率的になるピヨ。ただし鏡を見すぎる人みたいに、使い方を誤ると邪魔で過剰で非効率にもなる、とも書いてあるピヨ。
具体的には、後の章で2つの道具を紹介するピヨ:声を合成する Madde voice synthesizer と、音を分析する VoceVista Video Pro ピヨ。バランスが大事ピヨ!
次は「Semantics(意味)」ニャ。言葉とかモデルとか…なんで歌の本でそんな話をするの?
これがとっても大事な前置きなんだピヨ。ボーズマン先生はこう言うピヨ:すべての言葉は「比喩」や「代理」であって、物そのものではない。みんなで「これをこう呼ぼう」と決めたラベルにすぎないピヨ。
同じように説明モデルは、複雑な現象をわざと単純化したものピヨ。大事な原理を目立たせるために、あえて一部の情報を捨てているピヨ。だから有名な一言を引くピヨ:
“all models are wrong; some are useful” (George Box, statistician). →「すべてのモデルは間違っている。だが、一部は役に立つ」(統計学者ジョージ・ボックス)ピヨ。 p.3
えっ、全部間違ってるなら、勉強しても意味ないじゃんニャ…。
そこがポイントだピヨ!「間違っている」と「役に立たない」はちがうピヨ。地図は実物の街そのものじゃないけど、目的地には着けるピヨね。この本のモデルも同じで、細部まで完全に正しいわけではないけれど、全体の理解と実践には十分役立つ「ヒューリスティック(手がかり)」として使うピヨ。だから「これは単純化なんだ」と分かったうえで使えば、こわくないピヨ。
「知識は2種類ある」って要約にあったニャ。宣言的…手続き的…?むずかしい言葉ニャ。
名前は難しいけど中身はシンプルだピヨ。体を使う活動の知識は、この2つに分けられるピヨ:
“declarative knowledge, which describes the objective, physical realities … and procedural knowledge, which describes the subjective, sensorial experiences …” → 宣言的知識は客観的・物理的な現実を述べ、手続き的知識は主観的・感覚的な体験を述べるピヨ。 p.3
ふむふむ。じゃあ理屈(宣言的なほう)を完璧に説明できれば、それで歌えるようになるってことニャ?
うーん、そこが落とし穴ピヨ!ボーズマン先生は、機能を客観的に説明するだけでは「歌う意図」としては役立ちにくいと言うピヨ。体の動きは、細かい部品を一つひとつ管理するより、シンプルな「出したい結果(出力目標)」で組み立てたほうがうまくいくからピヨ。
だから歴史ある教え方には、感覚に効く言葉=手続き的な用語がいっぱいあるピヨ。たとえば head voice(頭声), chest voice(胸声), covering(カヴァー), appoggio, voce aperta, voce chiusa …みたいなのピヨ。
“Vocal directives must be simple enough to execute as motor intentions.” → 声への指示は、運動の意図としてそのまま実行できるくらい単純でなければならないピヨ。 p.4
じゃあ結局、科学(宣言的)と感覚(手続き的)って、どっちが大事なのニャ?
どっちか、じゃなくて「つなぐ」のが答えピヨ!第1章の結論はここピヨ:
“Declarative knowledge can inform procedural choices, adding valuable specificity, but procedural knowledge is needed for effective motor intentions …” → 宣言的知識は手続き的な選択に有益な具体性を与えてくれる。でも実際に体を動かす意図には、やはり手続き的知識が要るピヨ。 p.4
なるほどニャ!「科学で正しさを足して、感覚で実際に動かす」。これなら音響を学ぶ意味が分かった気がするニャ。
その通りピヨ!第1章は「これから学ぶ音響は、感覚を捨てるためじゃなく、感覚をもっと正確に導くためにある」という宣言だったピヨ。準備運動はばっちりピヨ。次の第2章では、いよいよ音・倍音・声の基本モデルに入るピヨ。いっしょにがんばろうピヨ!