PRACTICAL VOCAL ACOUSTICS ・ 詳細対話版(大学生レベル)
Practical Vocal Acoustics(実践的声楽音響学)/ Kenneth Bozeman 著
第10章は管の音響学そのものだったけど、第11章はタイトルからして「戦略」になっている。まず確認したいのは、この章が目指す声道の状態は何なのか、という点ニャ。「収束型共鳴器」「開いた喉」という言葉が並ぶけれど、それは歌っている最中の話なのか、歌う前の話なのか。
そこが最初の要点ピヨ。ボーズマンは、目標の声道を歌い始める前に準備しておくもの=前発声姿勢(pre-phonatory posture)として規定するピヨ。冒頭の一文がこの章全体の前提を立てているピヨ:
"A vocal tract poised for resonance (chiaroscuro, singer's formant timbre) should be prepared prior to singing by means of a relatively open (unconstricted) throat and some degree of tube convergence." → 共鳴に適した声道(キアロスクーロ、歌手のフォルマント群の音色)は、比較的開いた(狭窄のない)喉とある程度の管の収束によって、歌唱前に準備されるべきだピヨ。 11章 §開いた喉
つまり狙いは「喉は広く・口側は相対的に狭い」という収束型共鳴器(convergent resonator)を、発声に先立って作っておくこと。これがキアロスクーロや歌手のフォルマント群(SFC)の音響的な土台になるピヨ。
準備すべき状態がはっきりしているなら、あとはそこに到達すればいい。でも本章はわざわざ「戦略」を五つも並べる。なぜ一筋縄ではいかないニャ?
理由は運動感覚が誤解を招くからピヨ。喉の形に対する自分の感覚(kinesthesia)は、しばしば実際の声道形状と食い違う。だから「正しい形を感じろ」では届かない。ボーズマンはこの誤った感覚を迂回する手立てを五つ列挙するピヨ:
"Several strategies can circumvent this false kinesthesia: a noiseless inhalation, an appropriate F2 frequency target (not too high per vowel), an accurate remapping of the throat and tongue, articulatory efficiency, and the use of appropriate motivational affects." → いくつかの戦略がこの誤った運動感覚を迂回しうるピヨ――①無音の吸気、②適切なF2周波数の目標値(母音ごとに高すぎないこと)、③喉と舌の正確な再マッピング、④調音の効率性、⑤適切な動機づけ的情動の使用ピヨ。 11章 §開いた喉
この章の構成は、ほぼこの五つを順に展開していく形ピヨ。だからこの一文が、章全体の目次そのものなのだピヨ。
「開いた喉」と言えば、ふつう大あくびの[ɑ]を思い浮かべる。広く開けている感じがするから。ところが本章はそれを真っ向から否定する。どういうことニャ?
ここが第11章の核心の逆説ピヨ。多くの人の感覚は事実と逆だと、はっきり書かれているピヨ:
"Most people perceive [ɑ] to be the most "open throated" vowel posture and [i] to be the least open throated, when the opposite is in fact the case." → ほとんどの人は[ɑ]を最も「開いた喉」の母音姿勢、[i]を最も開いていないと知覚するピヨ。だが実際にはその逆なのだピヨ。 11章 §開いた喉
図11.1を見ると一目瞭然ピヨ。[i]では舌が高く前方に上がるので咽頭(喉の奥)が広く開く。逆に[ɑ]では舌が後退して咽頭壁に近づき、喉側はむしろ狭くなる。口の開きの大きさと、喉の開きの大きさは別物なのだピヨ。
なるほど。感覚的に「広い」と思っている[ɑ]の喉が、実は閉じ気味だと。すると指導現場の問題は、学生が間違った感覚を頼りに前発声姿勢を作ってしまうことニャ。だからこそ感覚に頼らず外側の手がかりが要る、という流れだね。
戦略①の「無音の吸気」。本章は「無音の吸気は十分に開いた喉の証拠だ」と言い切る。なぜ吸気が静かであることが、開いた喉の証拠になるニャ?音が鳴らないこととの因果が知りたい。
因果は空気力学ピヨ。吸気雑音は、声道のどこかが狭くてそこで空気が加速し乱流になるときに生じる。だから雑音が鳴れば、喉のどこかに狭窄があるということ。逆に音がしなければ、喉に過度な狭窄がないわけピヨ。そして狭窄部の位置を教える手がかりが冷たさピヨ。最も狭いところで空気速度が最大になり、そこで風冷効果(wind chill)が最も強く出るピヨ:
"Wherever the vocal tract is the coolest, it is either the point of the earliest air contact and heat exchange, or the narrowest, since that is where air speed will be the quickest and the resultant wind chill effect the strongest." → 声道で最も冷たい場所は、最初の空気接触と熱交換が起こる地点か、もしくは最も狭い部分であるピヨ。そこでは空気速度が最も速くなり、結果として風冷効果が最も強くなるからピヨ。 11章 §無音の吸気
だから狙いは、冷却を口の前面(歯・舌先端・硬口蓋)で感じるように吸うこと。冷えが前にあれば最狭窄部が前方にあり、喉は相対的に開いている。微妙な軟口蓋の挙上(硬口蓋寄りに前で感じる)を添えると、喉はより開き、共鳴器はより収束的になる――というのが原書の結論ピヨ。
戦略②はF2を下げること。でも吸気のときに鳴る「シュー」という雑音に、なぜF2という共鳴の概念が結びつくニャ?雑音にフォルマントがあるの?
あるピヨ。乱流雑音は広帯域だけど、声道の共鳴がそれを色づける。だから吸気雑音の「ピッチ」(卓越する高さ)は、そのときの声道共鳴の位置を反映するピヨ。高い吸気雑音はF2の位置が高い=喉が狭いことを示す合図で、これはささやき声で典型的ピヨ。だから「雑音のピッチを下げて聞こえなくする」ことが、そのまま狭窄解消になるピヨ:
"Lowering the "pitch" and audibility of inhalatory noise deconstricts the throat, lowers the F2 pitch to its more passive pitch location, and allows enough low-frequency content to subtly perceive the F1 location as well." → 吸気雑音の「ピッチ」と可聴性を下げることで、喉の狭窄が解消され、F2のピッチがより受動的な位置に下がり、F1の位置も微かに知覚できるほどの低周波数成分が得られるようになるピヨ。 11章 §第二フォルマント周波数の低下
大事なのは、これに喉頭の押し下げや首の力みは要らないということピヨ。むしろ過剰な調音を避け、「懸念を含んだ懐疑(concerned skepticism)」のような内向きの情動を使い、暗い音色は前・明るい音色は後ろと再概念化するのが助けになる、と原書は言うピヨ。この「暗い=前/明るい=後ろ」は、後半の「配置」感覚の逆説(scene 9)への伏線にもなっているピヨ。
戦略③は「再マッピング」。あくびの[ɑ]で感じる「咽頭後壁が耳の後ろにある」という感覚は、本章では解剖学的にあり得ないと切り捨てられる。では実際に感じているのは何ニャ?
感じているのは咽頭壁ではなく筋肉ピヨ。耳の下の茎状突起から伸びる外側舌筋=茎突舌筋(styloglossus)が、舌を咽頭後壁へ引き戻している。その引っ張りを「喉の奥の壁」と取り違えているのだピヨ:
"What is most likely being felt are those lateral tongue muscles (styloglossus) that attach to the styloid processes beneath the ears and retract the tongue toward the back throat wall." → 最も感じられている可能性が高いのは、耳の下の茎状突起に付着し、舌を咽頭後壁に向かって後退させている外側舌筋(茎突舌筋)であるピヨ。 11章 §喉と舌の再マッピング
だから処方は、咽頭壁を実際の位置(耳の前・下)に置き直すこと。そうすると舌の後退が解放され、舌は受動的に前に出て、喉の空間はむしろ広がるピヨ。
舌そのものの形のマッピングも誤りがちだと書いてある。多くの歌手は舌を逆さの「L」字、喉頭まで垂直に降りるものと思っている。実際の構造はどう違うニャ?
舌の本体をつくる最大の筋=オトガイ舌筋(genioglossus)は、垂直に喉へ降りるのではなく、舌先端の下をループして後方に戻り、顎の内側後面に起始するピヨ。舌骨への下方の付着(舌骨舌筋 hyoglossus)もいくらかあるが、主役は顎から後ろへループするオトガイ舌筋。図11.2がその扇状の走行を示しているピヨ。こう舌を再マッピングすると、舌と喉頭の独立性が高まり、舌はより大きな高さと受動的な前方配置のために解放される。舌と喉頭が独立すれば、舌を前・高くしても喉頭は低いまま保てる――これが[i]系の「開いた喉」を実際に作る筋道ピヨ。
ここで話が「準備」から「維持のモニタリング」に移る。管長の安定性(喉頭位置の一貫性)を確かめる方法が三つ挙げられている。まず一つ目、触診はどこを触るニャ?
一つ目は甲状舌骨間隙(thyrohyoid space)を軽く触診する方法ピヨ(第8章 図8.1, p.66も参照)。判定基準は、ピッチが上がっても嚥下時のように間隙が大きく上昇して閉じないこと:
"The thyrohyoid space should be relatively open and not rise and close appreciably (as it does in swallowing) with pitch ascent." → 甲状舌骨間隙は比較的開いていて、ピッチの上昇とともに(嚥下時のように)著しく上昇して閉じるべきではないピヨ。 11章 §管長の安定性のモニタリング
ただし間隙の大きさには個人差があり、発話時に嚥下筋を不必要に習慣的に使う残留緊張で狭まっていることもある。定着している場合は、声を専門とする言語聴覚士(speech-language pathologist)の治療で、忍耐強く対処すべきとされるピヨ。
残り二つは視覚と聴覚だね。それぞれ適用範囲と信頼性が違うはず。三者をきちんと比較したい。
二つ目は喉仏(Adam's apple)の視覚的観察ピヨ。客観的だが、平均的に喉頭が大きい生物学的男性や、肉付きが少なく構造が見えやすい人に有用、と適用範囲に偏りがあるピヨ。三つ目は音色の深みの一貫性を聴覚的に評価すること。普遍的に適用できるが、信頼性は最も低いピヨ:
"tube length stability can be assessed by aurally monitoring the consistency of timbral depth. This is less reliable, since it can be falsely mimicked by various articulatory manipulations of tongue and lips" → 管長の安定性は音色の深みの一貫性を聴覚的にモニタリングすることでも評価できるピヨ。だがこれは信頼性が低い。舌や唇の調音操作で偽りの模倣が可能だからピヨ。 11章 §管長の安定性のモニタリング
整理すると――触診は直接的だが学生の解剖に依存、視覚は客観的だが男性・痩せ型に偏る、聴覚は誰にでも使えるが模倣に騙されやすい。だから注意深い傾聴と観察で不確実性を減らせ、というのが結論ピヨ。
戦略④は「調音の効率性」。歌詞をはっきり言おうとすると、つい顎を大きく動かす。本章はそれを抑えろと言う。発音の明瞭さを犠牲にしないニャ?
犠牲にしないというのが主張ピヨ。要点は過剰な顎の動き(jawing)と口腔性(orality)を減らすこと:
"Another strategy for maintaining a convergent resonator while singing is to minimize the jawing of diction, reducing excessive orality." → 歌唱中に収束型共鳴器を維持するもう一つの戦略は、ディクション(歌詞の発音)における過度な顎の動きを最小限にし、過剰な口腔性を減じることピヨ。 11章 §調音の効率性
原書は続けて、十分な内部空間がある限り、低・中音域では声の共鳴も母音の調音も母音の弁別も誇張した顎落としや過度な調音変化を必要としないと断言する。むしろ母音は形成において互いにかなり近接して見えうる、と。
顎を大きく落とすと口腔が広がりすぎて、声道がむしろ発散型に傾く――だからF1が不安定になり収束が崩れる、という理屈ニャ。母音は互いに近い形のままでいい、と。
その読みで正確ピヨ。原書はこれらの戦略すべてが喉の楽さと開放性、受動的に安定したF1を改善して、共鳴器の収束を高めると締めるピヨ。顎の少しの節約が、F1の安定を通じて収束を守るわけピヨ。
戦略⑤は意外にも情動(affect)。筋肉を直接動かす方が確実そうなのに、なぜ感情表現を使うニャ?まず、完全に脱力した声道ではダメなの?
ダメなのピヨ。完全に弛緩した声道は圧力や状況の急変に脆く、最適共鳴・ダイナミクスや音域の極端・表現的な音色制御と相容れない。必要なのは脱力でも硬直でもない「構え(poise)」ピヨ。そしてその構えは、直接操作より情動の方がうまく作れるピヨ:
"Affect can position and stabilize the vocal apparatus more effectively than direct physical manipulation." → 情動は、直接的な身体操作よりも効果的に声の器官を位置決めし安定化できるピヨ。 11章 §共鳴器の位置決めと安定化のための情動の活用
具体的・十分・誠実な表現には、身体的に安定しているが硬直には至らない「構えのある」声道配置が自然に伴う、という論理ピヨ。初期イタリアの教師の「微笑みを通して吸えば喉が開く」も同じ文脈――これは唇の形ではなく、心からの喜びの内面的な咽頭の構えの問題で、顔の表情は二次的についてくるだけ、と注意されているピヨ。
「微笑みで吸う」は精神論かと思っていたけれど、検証もされているニャ?具体的にどの情動がどの構造に効くのか知りたい。
声楽教師・研究者のJo Estillがテスト・文書化し、Kimberly Steinhauer(2008)が報告しているピヨ。具体例が二つ挙がるピヨ:
"a suppressed laugh may stimulate retraction of the false vocal folds, reducing the possibility of pressed phonation. Strong amusement or mischief can lift and stabilize the soft palate and comfortably firm the pharynx." → 抑えた笑いは仮声帯の後退を促し、圧迫性発声の可能性を減らしうるピヨ。強い面白みやいたずら心は、軟口蓋を挙上・安定化させ、咽頭を快適に引き締めうるピヨ。 11章 §共鳴器の位置決めと安定化のための情動の活用
抑えた笑い→仮声帯後退(圧迫回避)、いたずら心→軟口蓋挙上+咽頭の適度な引き締め。情動は複数の構造をまとめて一括設定するショートカットになっているわけピヨ。
後半は「配置(placement)」の話。本章はこれを語るのはリスクがあると前置きする。なぜそんなに慎重なニャ?
慎重な理由が二つ、明示されるピヨ:
"Any discussion about tonal "placement" sensation, that is, locational somatosense, is risky, since the placement of sound is an illusion in the first place, and perception of tonal sensations are somewhat variable from individual to individual in the second place." → 音色の「配置」感覚=位置的体性感覚に関する議論はリスクを伴うピヨ。第一に音の配置はそもそも幻想であり、第二に音色感覚の知覚は個人間で変動するからピヨ。 11章 §音色の「配置」感覚
さらに第三の理由として、音色感覚は複数の構成要素から成る――声は複数の共鳴と、複数の節・腹を持つ複雑な圧力波を持つので、注意はそのうちの任意の一側面に向きうる。だから「配置」を提案するときは慎重さと柔軟性をもって進めよ、というのが構えピヨ。
幻想だと認めながら、本章はそれでも「配置」を捨てない。音響的な根拠があると言う。その根拠はどう示されるニャ?
歴史的に報告された感覚にはかなりの重なりがあり、成功した教授法は手続き的知識(procedural knowledge)=ある活動をするときの感覚の語彙で満ちている。そして音響的な根拠の例が、イェルとウープの対比ピヨ:
"Consider the differences in acoustic sensation between yelling (2fo dominant fR1, with strong upper partials) and whooping (1fo dominant fR1, with weaker upper partials)." → イェル(2fo優勢のfR1、強い上方部分音を伴う)とウープ(1fo優勢のfR1、弱い上方部分音を伴う)の音響感覚の違いを考えてみよピヨ。 11章 §音色の「配置」感覚
振動触覚感覚は今では1000 Hzまでしか及ばないと分かっているが、強い高次部分音は全体強度を上げ、そのぶん低い(感じ取れる)スペクトル成分の体性感覚を強める。高い前方の感覚的フィードバックが高スペクトル成分に付随して報告されるのは、このメカニズムによるピヨ。逆にF1/1fo優勢の音は、より丸く感じられ、頭部と咽頭柱のより中央で感知されると報告されているピヨ。
最後の逆説。直感では「明るい母音=前、暗い母音=後ろ」だから、前舌母音は前、後舌母音は後ろに感じるはず。ところが本章はほぼ逆だと言う。どういうことニャ?
まず直感の前提を確認するピヨ:
"It is innate and universal in humans to perceive bright as forward and dark as in back. One might then assume that front vowels are felt in the front and back vowels in the back. Curiously, almost the opposite is the case (see Figure 11.3) when acoustically efficient." → 明るいものを前、暗いものを後ろと知覚するのは人間に生得的・普遍的ピヨ。すると前舌母音は前、後舌母音は後ろに感じると思うはず。ところが興味深いことに、音響的に効率的なときはほぼ逆になるピヨ(図11.3参照)。 11章 §第二フォルマントの「配置」感覚
その理由としてボーズマンが挙げるのが、定在波の圧力の節(pressure node)の位置ピヨ:
"This may be due to the locations of the pressure nodes of the standing waveform of vowel formants." → これは、母音フォルマントの定在波形の圧力の節の位置に起因するかもしれないピヨ。 11章 §第二フォルマントの「配置」感覚
逆説をただ知るだけでは練習にならない。この「逆さの配置」を意識することが、実際の発声にどう効くニャ?
少なくとも話声域のピッチでは、図11.3の位置に沿って目標母音の音響エネルギーの位置を予期・意識することが、母音を「整列(aligned)」させる助けになるピヨ――舌背は十分高く前に、喉頭とF1は低く、共鳴器は収束的に、音色はバランスの取れたキアロスクーロに保たれる。ただし適用範囲には条件があるピヨ。原書はこれが非トレブル音域でより顕著だと言う。適切な母音修正(母音の開き)を伴うより高いピッチでは、音色感覚はますます垂直的になり頭部に集中していくからピヨ。だからこの「逆さ配置」の地図は、話声域〜中音域での母音整列の道具として使うのが本筋ピヨ。
まとめるピヨ。第11章は、(1)「開いた喉」を運動感覚の逆説([i]が開・[ɑ]が閉)として診断し、(2)無音の吸気→(3)F2低下→(4)再マッピング→(5)管長モニタリング→(6)調音効率→(7)情動という戦略群で収束型共鳴器を準備・維持し、(8)(9)「配置」感覚をその幻想性ごと音響的に位置づけ直す――という、感覚と音響をつなぎ直す実践マニュアルピヨ。次の第12章はベルティングの音響へ進むピヨ。